【ON THE ROAD 平成元年】
むかし、むかし、30年ほど昔。
私は、私自身の平成史に影響を及ぼす出会いをした。
時は平成元年の春。19歳。
私は先輩に連れられて、とあるスナックに入った。
先輩は自分の生ビール、未成年だった私にはブラックティー(私には英国紳士の血が流れているので、ブラックティー上等。※2018.08.08のブログ参照。)を注文すると、手際よくカラオケの本をめくった。
そして何やら番号をママに伝え、小銭を渡すと、マイクのスイッチを入れた。
当時のカラオケは、いわゆるデンモクなんて物はなく歌本で曲を選び、6~7桁の数字をママに言うとレーザーデイスクを機械にセットしてくれて、その番号の曲を再生してくれるシステム。
「いい曲だから、ちゃんと聴いとけよ。」
先輩は私にそう言うと、バラード調のイントロに続き、語り掛ける様に唄い始めた。
「ゆうべ眠れずに~、泣いていたんだろ~」
不倫の恋愛をしている女性に、葛藤の末、自らの恋心を伝える切ないラブソング。
「子供の頃、君が夢みてたもの、叶える事など出来ないかもしれない。ただいつも傍にいて手を貸してあげよう。受け取って欲しいこの指輪を。受け取って欲しいこの心を・・・」
浜田省吾さんの名曲「もうひとつの土曜日」である。
もちろんメロディも素晴らしい
何より、曲の登場人物の性格や感情、映像までも想像出来る、まるで小説の様な歌詞が素晴らしい
そんな浜田省吾さんの才能に、出会ってしまった訳です
それ以来ファンになり、様々な楽曲で、時には、励まされ、慰められ、元気付けられて来ました。
平成の30年間お世話になりました。また、令和の時代も宜しくお願いします
そうそう、宮崎市には、浜田省吾さんのファンが集う「Fan's bar 星の指輪」というバーがあります。
省吾ファンの気さくなマスターが、ギターやハーモニカを演奏してくれたりもします。
気になる方は、一度入ってみることをお薦めします。
ではでは。
宮崎:営業:男性
当時、営業車で移動中に濱田省吾さんを教えていただいて有難うございました。
浜田省吾さん、良いですよねー!
僕はどハマりのファンではありませんが、浜田省吾さん好きですよ!アイアムファーザー?だったかな?そう!お父さんは皆んな頑張っているんです!ま、当然お母さんもですが。(笑)
お父さんって誤解されやすいですよねー。
家族ではないんですが、僕も信頼している人
(同志)に誤解を受けてしまい、大事に思っている気持ちが伝わっていなくて…言葉は大事ですが、男って言葉だけじゃないですよね?(笑)ま、伝わってなければ意味は無いのですが…
(涙)とりあえず誤解を解こうと思います!
きっとわかってもらえるはず!