もう年の瀬かぁ・・・
当社のスタッフブログをご覧いただきありがとうございます
このブログがアップされるのは12/25予定とのことで、今年もあと1週間。
私にとってはアッという間の1年でした。
皆様はいかがでしたでしょうか?
私の前回のブログは2023年11月15日(坂本龍馬の誕生日・命とされる日)にアップされましたので、龍馬の足跡を訪ねる旅の話を書かせて頂きました。
今回は、私がなぜ史跡巡りをするのが好きになったのか・・・という原点の話と、年の瀬に関係のある話を書かせてもらいます
「赤穂事件」という事件をご存じでしょうか?
この話が庶民的な物語になると、いわゆる「忠臣蔵」です。
元禄14年3月14日 (旧暦)、赤穂藩主浅野内匠頭が、江戸城松之大廊下で、高家吉良上野介にイジメを受けていたことを理由に斬りかかった事で、場所柄もわきまえずに刃傷におよんだ浅野は即日切腹、浅野家は所領の播州赤穂を没収の上改易されたが、吉良は咎めなし。
浅野家の家臣達は反発し、筆頭家老である大石内蔵助を中心に、最終的には47人の家臣達(四十七士)で1年9ヶ月後の元禄15年12月14日 (旧暦)吉良邸に侵入し、吉良上野介を討ちとり、仇討ちを果たした。
四十七士は吉良邸から引き揚げ、吉良の首を浅野内匠頭の墓前に供え、1名を除いた(逃亡説・密命説あり)46人は、吉良邸討ち入りを幕府に報告し、幕府の指示に従って全員切腹した。
殿様の無念を晴らすため、仇討ちを実行し潔く死んでゆく家臣たちの話です。
まぁ、こんな感じの話ですが、聞いたことあります?
私が子供の頃は、年末になると、この話のドラマや特番がテレビでよく放送されたものでした。
時はそれからおおよそ300年後、1988年夏、私は大学進学の件で父に連れられ東京に来ていました。
無事に用事も済んだので、歴史好きの私に父が「赤穂浪士(四十七士)の墓に行ってみないか?」と誘ってくれたのです。
「行きたい!」の一つ返事に父も嬉しそうでした・・・
東京都港区にある泉岳寺がそこです。
泉岳寺は浅野家の江戸での菩提寺になっていたお寺だそうです。
ここに浅野内匠頭のお墓があり、仇討ちを果たした四十七士も彼らの希望が許され、このお寺に埋葬されています。
(泉岳寺の大石内蔵助像)
(浅野内匠頭のお墓)
(四十七士のお墓)
武士の本懐を遂げた気持ちって、どうだったのだろう・・・・
自分の仇を討ってくれた家臣を持って幸せなお殿様ですね・・・
そんな気持ちになったのを覚えています。
「史実」が「物語」になるには、様々な脚色がなされているのは分かっています。
その時々の権力の都合によって美談になることも・・・。
ただ、その歴史の舞台や史跡を訪れると、その事柄に関わった先人たちの精神に触れることが出来る気になるのです。
彼らはどんな気持ちだったのだろう・・・。
テレビや映画では伝わってこない、彼らの『想い』を想像しながら、その場所に立つことに、意味と醍醐味があるような気がします。
今思うに、この泉岳寺訪問が私の史跡巡りの原点になったことは間違いありません。
なんか辛気臭い話や画像でスミマセン・・・
それでも、この楽しみを与えてくれた父に感謝です。
よいお年を
宮崎:営業:👨