「おーい!龍馬!!」
「せごどん!」が大河ドラマ放送されて南九州地方はおおいにもりあがっている!
今回、龍馬役は”小栗旬さん”に決定!イケメン龍馬!「福山龍馬」の次は「小栗龍馬」か~。いいね~!!
と、思っていたら忘れ去られていた脳裏の画像が浮かんだ!久しく取れていなかった休暇だ!「よし!龍馬!!」と思い立ち、【宮崎-鹿児島 史跡巡り(主に龍馬巡り!)】に向かった。
史実のうえでも”寺田屋”騒動後、傷の治療を兼ね、妻のおりょうさんと新婚旅行した地である薩摩(鹿児島)から日向乃国(宮崎県)に二人で歩いて立ち寄っていたのか!
以前、土佐で出会った"前田秀徳先生”も「宮崎にも龍馬は来てる!」とおっしゃっていたし!う~ん!
当時はさぞ険しい道のりではなかっただろうか?霧島から今の国道10号線を川沿いに?もしかして川で船で下ってきたのか?でも薩摩への帰りは登りできついぞなー寺田屋騒動の時にピストルで幕府役人を撃ってしまったから余計に恨みかっちゃった…?龍馬を知り尽くしている”武田鉄矢さん”もこの地を知っているのかな?色々な思いが馳せる。龍馬ゆかりの地が宮崎にあることにワクワクし、嬉しくなる!(私だけか…?)
その地である高岡町は、幕末に島津藩直轄領地であったのだから龍馬が立ち寄っていてもおかしくないな。
天ヶ城は一国一城令により幕末期は廃城となっていたが、元々城下は川を基点に大変にぎわった城下町。龍馬が立ち寄った幕末期はガヤガヤしていなく、ゆっくり・のんびり休養していただけたのでは…!
記念碑には昭和7年建設と彫られているから”寺田屋事件が慶応2年”・”龍馬暗殺が慶応3年”、明治が慶応4年が元年で45年まで、大正が15年で昭和7年に建てた…。
ということは龍馬暗殺より66年後に建てられた記念碑であることがわかる。この地に訪れて67年後…。根拠が無いことで記念碑は建てないであろうから町民たちが龍馬の優しさに共感したに違いない!
旅館関係者、若しくは町民が後世に残すために建てられたのではと推測!おお~!高岡町のみなさんありがとう!!
そして、10年ほど前にこの激レアな記念碑を見つけ教えてくれた”日之出酸素・龍馬会”の”S先輩”に感謝!!
めちゃ癒され、元気を頂き坂本龍馬という人物を高知から遠く離れた宮崎の地で身近に感じられた素晴らしい休暇になりました。明日からも頑張る活力を与えて頂いた!
私は医療ガスグループで医療関連の仕事に関わっている。医療機関向け、医療用酸素安定供給にて地域貢献に今まで以上に奮起!がんばろー!!
んで、次回ゆ~~~っくりと休暇が取れた時は”日向乃国・薩摩・大隅・人吉・肥後の史跡&神社&古城跡”散策しよ~っと!
その次は…、、、”神武さまゆかりの地巡り”だな(笑) おしまい!!!
【日向乃国 大御神社】【大御神社 昇竜】
宮崎 営業 👨